いよいよイースター島への出発だ。
本船を朝10時頃の出発でイースター島上陸は11時頃だった。
テンダーボートに乗っている時間は15分程度だが乗り降りに時間がかかる。
船員に両手を取られ一人づつ波の合間をそれ今だ!があるからだ。
船は揺れ船酔いする人もいた。
勝手に想像する。本船が沈没し救命ボートが漂流したら船内中ゲロゲロになるな。それは困ると窓から身近に見える波を見ながら楽しむ。
波の穏やかな入り江の小さな船着き場のテント内で簡単な手荷物検査があった。
持ち物の検査も厳しく基本的に水以外はダメ。あいにくの小雨で僕はリュックに小さな水筒とカッパだけ。船内で何度も注意があったので簡単に通してくれた。
2、3のテントで土産物を売っていた。
ツアーは30人程が二台のマイクロバスに乗り込んで先ずはトンガリキに向かう。
船着き場の近くはヤシの木や高木、ハイビスカス、ブーゲンビリアもあり民家が転々と建っているがほどなくすると一面芝生のような小高い丘が連なり、馬や牛がいる。道路にも出てくるので野生なのか放牧されているのかわからない。
見晴らしのいい丘を登り下りしていると船着き場とは反対側の海の見える高台に出た。下車すると遠くにあの何度も映像や写真で見ていたモアイ像15体が一列に並んで雨雲をバックに絵のように浮かび上がって立っている。
初めて目の当たりにする本物のモアイ像。
でかい!それは表情がないだけに素朴でもあり厳かでもあり悲しみをたたえているようにも見える。石を掘っただけで何の加工もしていないので黒ずんだり白っちゃけたりが何百年もの風雨を思わせる。
モアイ像は海に向かって立っているものもあるが、このモアイ像は広い大地を人々を守るかのように海を背に立っている。
そしてバスはモアイ像を掘ったであろう「ラノララク」石切り場へと向かう。
ここはやはり芝生のような草原が丘となって幾重にも広がり、あちこちに立ったり半身だったり倒れ掛かったりのモアイ像が、こちらは海に向かって海を見下ろすようにある。放牧か自然か牛馬が数頭群れている。
石切り場には岩をくり抜いた中に巨大なモアイ像の表だけが彫った途中のように横たわっている。もし完成していたら一番大きなモアイ像になっていたかもと言われている。
900体とも言われるモアイ像を誰が何故何のためにどうやって? 諸説読んでみたが今だ研究は続いているという。人間の仕業であることは間違いない。
僕は古代の人たちの神秘性、いや現代にも通じる人間の持つ神秘性を思わずにいられなかった。謎が謎を呼び行きつく所は人間という生き物が謎なのかな。
1960年の観測史上世界最大と言われるチリ地震。マグニチュード9.5は2011年の東日本大震災の9.1を上回る。
チリ地震の時も東北がかなりやられ船が屋根の上に乗っているかつての映像を見たことがある。
当然ながらイースター島のモアイ像も大打撃を受け大部分が倒壊したという。
日本を始め世界中からの支援で今の形に復興したようだ。
世界遺産とか重要文化財とか色々あるが、自然や人間の謎や神秘は後世に伝えていくことはとてもいいことだと思った。
余談だが渋谷の駅前にもモアイ像がある。
北海道にも宮崎にもある、多分各地にあるかも。
本物かどうかはわからない。