「一人の俳優が演じた最長映画シリーズとしてギネス設定されるなど
長年にわたって愛された「男はつらいよ」シリーズの22年ぶりとなる50作目」とのこと。
この映画が撮られていたことは知っていたが 観てはいなかった。
驚いたのは渥美清が1996年に68歳で(若かったんだ)亡くなって22年もたった2018年に撮られていたことだ。
僕は山田洋次監督の気持ちに思いを馳せた。22年長い。少なくとも20年は監督の中で渥美清は
死んでいなかった。頭の中で死んだということは理解していたが 心が全身全霊が受け入れずにいた。
だから22年もたってやっと受け入れ 渥美清に送る言葉を映画にしたのだ。
映画はまさしく監督が渥美清に送った追悼の言葉だった。
そして兄の和夫夫婦に思いを馳せる。
30代後半の若さでこの世を去った長男晶君 まだ二年しか経っていない。
彼らの中で晶君は全く死んでなんかいない。
心が全身全霊が晶君は生きていてまだ笑いまだ走る。
その通りだし それでいいと思う。
こんにちは!
映画三昧ですね。私は「50作目」の寅さん映画を公開当時映画館で観ました。後藤久美子さん、夏木マリさんが出演していた作品ですよね。
さくらさんや家族の思い出として「寅さん」が出てくる映画でしたね。監督にも出演者にも愛されていた渥美さんなのだなー!と思いましたが、古い建物(お団子屋さん)が、ぎぃぎぃきしむ度
時代が進んでいく感じがしました。
さて、Heavenにいらっしゃる文夫さんとこうじさんにこんなお話をしてもいいでしょうか?
私の父は、終戦をインド洋アンダマン諸島の小島でむかえたそうです。父は、生きていれば102歳になります。(2004年に82歳で没)
なにが辛かったというと食べるものがなかったことマラリアにかかり、高熱と体の震えが留まらなかったこと、仲間の兵隊が次々に亡くなり、生木を組んで荼毘にふしたそうですが、火力が弱く
きれいに遺体の処理が出来なかったこと荼毘にふりている間に遺体が動き(筋肉が焼かれて収縮したりのびたりして)、怖かったと言っていました。
父は、自分は、運よく生きて帰ってきたけれど
あんなところで死んでしまった仲間達は、気の毒だったといつも兄、私、弟に言いました。
人の運命や富、地位は、何なんでしょうか?
父は、こんなに繁栄した時を見られて幸せとも言っていました。ただひとつ良かったことは、南十字星が見られたことかな?だそうでした。
戦争は、やってはいけない!と締めくくりました。晶さん、覚えて下さり、嬉しいです。
私達夫婦にとって本当に大切な息子です。
ずーっと一緒です。有り難うございます😁