十数年以上通ってくれている客に、岡部えつという面白い作品を書く女流作家がいる。
彼女は怪談、猟奇、愛憎物を得意とするが、ハラハラドキドキ!とは違う、首筋がヒヤッとする
そんな流れが上手い。
その彼女に「水島さん、昔の新宿二丁目を書いて」と言われ、45年前が昔になるのか、二丁目が怪談物のヒントに
なるのかわからないが、火鉢おばさんの思い出しついでに、思い出してみる。

火鉢おばさんで書いたように、たった一ヶ月間のバイトの間に、客のお兄さんやおじさんにあちこちの店に
連れていって貰った。
誘われて店を一歩出ると客はスタスタと先に行ってしまう。僕は追いつこうとする。客は振り向きもしない。
ポツン、ポツンとある四角い派手なネオンの一つのドアに着くと、客はちょっと振り返って僕を待つ。
そして慌てたように(僕にはそう見えた)中に入る。
そんな事をくりかえしているうちに、僕は気付いた。
僕と一緒にいることを、イヤ、男と一緒に並んで歩くことを、他人に見られたく無いのだと。
二丁目という存在すら知らなかった僕。

シャッター街のような閑散とした通りに澱んだネオン。
その通りをコソコソしていると思われないように、だが速足で歩く売春目的の男達とゲイバー目的の男達。
ところがである! 小さなドアを開けて一歩中に入ると「あーら! いらっしゃいませ!」
ガラガラ声なのに甲高い、大きな声が出迎える。
ドアの内と外ではまるで別天地のようなにぎやかさだ。
女性を入れる店と入れない店があるのは、今も昔も同じだ。

そんな流れの中で知った「タジオ」という店。
「タジオ」という店名はヴィスコンティ監督の「ベニスに死す」原作トーマス・マン、作曲家グスタフ・マーラーを
モデルにしたと言われる短編小説の映画化で、主人公の音楽家(ダーク・ボガード)がイタリヤのベニスで
出会ったタジオという美少年に恋焦がれて死んでゆくという話で、その美少年の名前から取ったと聞いた。
美川憲一さんとの初めての出会いが「タジオ」だった。
「タジオ」と美川憲一さん、「マレーネ」とチビ太ママ、が僕の二丁目の原点あるいは「雑魚寝」の原点
と言っても過言ではないかも知れない。このことは後で書く。

昔の二丁目、まだ市民権(?)を得ていなかったゲイの街。
誰もがコソコソと、例えば新宿駅から二丁目に行くのに明るい通りは通らない。新宿御苑側の暗い道を通ると
聞いた。目指す店の看板の前を一度通り過ぎ、あたりを見まわしてから、おもむろに入ると聞いた。
カルセールマキだけがテレビに出ていた。

今やテレビにゲイの人や女装家が出ていない日はない。
お姉マンズやLGBTともてはやされ(?)表向きは堂々と市民権を得ている。
二丁目の街も澱んだネオンは無く、オープンバーが乱立し、週末ともなれば金髪の女性達、黒人の男達、白人達と
日本人が混ざって(見える程に外人が多い)賑わい、世界の新宿二丁目のいわれを納得する。
レズビアンバーも増えて、道端の女性同士のキスも珍しくない。

僕はゲイの人達が、差別や偏見と戦い、市民権を得ることには大いに賛成だ。
しかし僕が初めて足を踏み入れた二丁目、隠花植物のような、しかし狭いドアを一歩入るとゴージャスな
隠花植物に変身する、あの時代が、何故か懐かしい。