金すんらという役者に初めて会ったのは、去年の九月「SINGEN」の舞台での共演だった。
織田信長の役をスマートに力強くこなし、いい役者だなと思った。
先日「明日の大地」という彼の出演舞台を浅草の5656会館で観た。幕末の話しで彼は土方歳三の
役をやはり力強く物悲しく演じていた。

彼が店に来たのは四回だけだ。だから付き合いが深いとは言えない。
初来店の日去年の10月ころか、彼は少し酔っていた。焼酎のボトルをキープしてよもやま話で
盛り上がった。数人いた客も帰り二人だけになった。
話は少し深まって在日朝鮮人の話、家庭の話、稽古(駆け込みユダ)の話、とりとめなく。
突然彼が泣き出した。急すぎて驚く僕。
「だからね・・・俺・・・」「・・・だってさー・・・」「・・・ごめん、迷惑かけて」
嗚咽まじりに何か言ってるが、さっぱりわからない。泣き上戸かと一瞬思う。
彼が涙顔を僕に向ける。すがるような強い目で、涙一杯の光った目はキラキラしていた。
僕はこの目を知っていた! 泣き上戸の目ではない。泣き上戸の目はグシャグシャで光っていない。
慟哭の目だ!
何故、今、この眼? 在日の件はこの歳になればクリアしているはずだ。家庭の問題なんて
誰にでもある。稽古の苦しみなんてあたりまえすぎる。
彼の抱えている説明のできない原点の寂しさ、悲しさ、口に出来ない悔しさが突然マグマのように
噴出したのだ。意味も無く。
「迷惑なんて掛けていないよ。泣けよ、泣きなさい。」彼の慟哭に対して、僕はこの言葉しか
もっていない。母親のように言う「わかるよ」と。

気分を変えたくて、早仕舞いして彼を飲みに誘う。
二軒ほど梯子して、他人も巻き込んでよく笑って飲んだ。
別れ際に僕が言う。「すんら、チュウしよう」タコのように唇を出す。
「ダメでーす」澄んだ笑顔で彼が言う。
僕は彼にホモ的興味は全く無い。
店での彼のあの慟哭に、僕は、自分自身を見たのかもしれない。

四回目の来店、周年パーティに彼のCD「祝福のうた」を貰った。
ハスキーで強く、優しく、悲しく訴える彼の歌に慟哭の原点をみた。