開店少し前に電話が鳴った。空元気だが大きな声で「はい、雑魚寝で~す」
「元気ね~。あたし。」加藤さんからだ。
彼女も30年前からの客だが、八王子という遠路もあり最近は来ない。
30代後半で一回りも違う20代の男性と結婚した。僕は式の司会もした。
猛反対を押し切って(先方の)結婚したのに、一人娘がまだ小さいうちに離婚した。
「あたりまえよね~」と豪語しながらも生命保険の勧誘など必死だった。
僕は他社の保険にも入っていたが勧誘され入った。娘は立派に成人したと聞いた。

電話は周年パーティに来れなかったお詫びだった。
「私はあなたの介護のために生きているんじゃない」「私はあなたの妻じゃない」
父親の介護に疲れ、家出して金沢に向かっていたらしい。
僕は介護の事には触れず「豪華な家出だな。イマシ(元従業員)なんて奥さんと
ぶつかると、近くのファミレスにプチ家出だよ」
少し愚痴が続いた後、僕は店の準備があるからと「がんばって!」と電話を切った。
すぐにメールが来た。
「一番聞きたくない 頑張ってを言われちゃいましたね。これ以上なんて。
死ねと言われたも同然… 残念です」(原文のまま)
僕は返信した。「死ぬのも 頑張らないひとつの手 かもよ。難しいね。
傷つけたらごめん」(原文のまま)と悪態をついた。
彼女からの、そんなことで傷つく私ではありません。の返信で一件落着。

僕の友人でドナルド・リチーというアメリカ人がいた。
戦後すぐに日本に来て行ったり来たりの内、晩年は日本で暮らした。
日本語がペラペラの彼だったが嫌いだという日本語が二つだけあった。
「がんばって!」と「適当に!」だった。
何をがんばるのか?
次回彼と会う約束をする時、適当に連絡しますと僕が言うと彼は怒った。
何故今決めないのか! 適当はいやだ!
彼はスケジュールが埋まっていて、僕はいつもガラガラだ。
それから何十年も彼と会う日は次回会う日を決めてから別れる。
そのかわりに約束の日に彼にとって重要なことがあっても僕との約束を優先して平気で断っていた。
僕と映画観てお茶するだけなのに。また約束の日彼が鼻水グジュグジュで熱があっても
「ごめんなさい、今日は映画は無理です。部屋で会いましょう」と。

僕が脚本を書いていた頃、行き詰って彼に電話した。
彼は著書が何冊もあって作家でもあった。
「書けない!苦しい!」
「文夫さん! ウンコと同じです。ただ出す、ただ書けばいいんです」
僕は完全に便秘だった。全く出ない。
苦しくて苦しくてまた電話した。
「文夫! 頑張って!」
何十年もの会話の中で彼の口から聞いた初めての「頑張って!」
「うん、頑張る!」と僕。
それから程なく下痢状になって一冊書き上げた。

僕がパソコンに向かってキーボードを打っている事を彼は知らない。
全くの音痴だったから。
今、天国から彼の声が聞こえる。
「文夫さん、えらいねえ。ウンコのように徒然なるままに。頑張って!」
僕は子供のように答える「うん、頑張る!」