何てことないチェルシーマーケットを後に僕達はクリストファーストリートのストーンウォールに歩いて向かった。
ここは僕が行きたいと言った所で僕の40数年前の小さな思い出の場所だった。
弘嗣のグーグルマップを頼りについて行く。

1969年6月28日 ニューヨークのクリストファーストリートのストーンウォールの反乱・暴動の記事が当時の日本の新聞にも大きな見出しで出ていた。
ニュースにもなっていたと思う。僕は20歳だった。
その頃僕が把握出来た内容は、同性愛者が集まる店に(ゲイバーを知らなかった)警察が乱入し一斉検挙して豚箱に入れる。それに対して同性愛者や群衆が抗議、抵抗して暴動化した。
僕の頭によぎったのは終戦後間もなく街角に立つ米兵相手のパン助と呼ばれる女たちが、幌のついた車で降りてきた大勢の警官に殴られ叩かれて押し込まれる記録映画で見た映像だった。それと重なった。
逃げ惑う女達を見て「抵抗しろ!貴女達が悪いんじゃない!戦争が悪いんだ!」

今回のストーンウォールというゲイバーでは皆抵抗し抗議し暴動化した。
一人のレズビアンの女性が抵抗しながら「なぜあなた達は何もしないの?」と叫んだのがきっかけで群衆が暴動化したという。
この事件は世界中に広まり今日のLGBTQ+の人権運動につながる。
東京ではレインボウ祭りかな。

僕の小さな思い出を忘れていた。
この事件の5、6年後に僕は始めてニューヨークに行ったのだ。
ブロードウェイとミュージカルだけでなく頭の隅に何故かクリストファーストリートの地名があった。
地図でみると近くはないが遠くない。「クリストファーストリートに行ってみたい」僕は親父に言う。「何故?」僕は何故か上手く答えられない。
区別差別に対して常に怒りを持っていた僕はなぜかそこが抵抗の地のように思えた。そんなようなことを言った。
「わかりました。一緒には行かれませんが考えます」この言い方も今は亡き親父の僕の好きな言い方だ。何であれ最初から否定することがない。
たとえ僕が無理難題を言っても僕の話を聞いて「わかりました。考えます」そして大方は叶えられる。
後日「クリストファーストリートの近くで友人と食事の約束をしました。そこまで一緒に行って文夫さんは戻って来てください」「やったあ!」
最初にレストランまで一緒に行って「ここからクリストファーストリートです。気お付けて、楽しんで」
45分の時間少しぶらついたがまだ夕方店は開いてないようだ。丁度オープンバーを見つけ入ってみることにした。
しっかりしたカウンターとしっかりした丸いテーブル立ち飲みだ。
結構混んでいたが入口付近のテーブルで「ワン、ビア、プリーズ」とボーイに言う。少し落ち着いて見てみると筋肉モリモリマッチョマンがほとんどレザージャケットで大声で談笑している。僕は「ヒエー、ニューヨークだ」と思いながらも慣れたふりする。誰も僕を気にしない。と一人のレザージャケットの黒人と目が合う。黒人が僕にウインクする。僕はうっかり笑顔でお辞儀をしてしまう。
ウインクは「可愛い日本人の坊や、大丈夫だよ」と言ってるようだった。
黒人白人入り混じったゲイバーで誰もが笑顔で、暴動とは縁遠く思えた。
レストランでは親父と友人が待っていてくれた。
「どうでしたか?」「すっげえ、楽しかった!」

グーグルマップはクリストファーストリートを見つけストーンウォールも見つけた。僕は今だに開店しているというストーンウォールの前の公園に立ち、3つのフラッシュバックに襲われた。今は亡き親父の優しさと黒人の大丈夫だよのウインクそして1980代エイズが収まった頃のゴーストタウンのクリストファーストリート、僕の3度目のニューヨークだった。
女教師に引率された白人の子供達が何やら説明を受けている。
かつて抵抗し暴動を起こしたこのゲイバーは今歴史的建造物として指定されている。

ストーンウォール

ストーンウォール

ストーンウォール

ストーンウォール