マネージャの柳沢さんが9月初めに飲みに来た。
お母さまの介護が大変だと、僕は分かる分かると、そんなよもやま話をしていた。
すると彼女が突然、ところで水島さん能率手帳って知っています?と聞く。
僕は、カウンターの上にあった赤い能率手帳を見せ、知ってるよ、これでしょうと。
あぁ、今現在使っているんだと彼女。
僕は、二十歳の時から使っていて、60歳の時に、取っておいた40冊分の能率手帳を断捨離をしようと思い、見直してみて驚いた。
他愛のないメモだけなのに、自分史が作れることに気が付いた。
例えば、東京駅何時待ち合わせとか、成田発何時、そこには当然旅行先が書いてある。
旅行史はそれで出来る。
舞台に関しては、当然稽古時間と本番、作品名はもちろん書いてある。
結婚式、葬式もある。
特別な人との出会いもメモってあった。
40年間で見た映画や舞台・コンサートもメモってあったが、それは自分史から外した。
映画は、ぴあから出た戦前からの世界の映画、日本の映画が載っている分厚いシネマクラブを持っていたから、そこにチェックを入れた。
1000枚以上あった舞台のチラシやパンフレットは印象深いものだけ30冊くらい残した。
それから半年掛けて、40年分の自分史を作った。
そんな話を彼女にした。
彼女は驚いて聞いていたが、突然、今度能率手帳のCMのオーディションがあるのですが、水島さん受けてみませんか?と。
僕は、それはないだろうと本当に可笑しくなった。
だって、能率手帳さまさまのおかげで、自分史が出来たことに、喜んでいた矢先だったから。
僕は、もちろん良いよと即答した。
オーディションに受かって、お金が欲しかったから。
店は暇だし。
それから、たくさんの楽しいインタビューを受けて、僕に決まった。
9月21日に店で撮影があった。
11月1日、5~6年会っていない友人からメールがあった。
「水島さんのでっかい写真を赤坂見附の駅で見たよ。すごいね。」
なんのこっちゃ、俺の顔忘れたんかい、放っておいた。
それから3時間後、親しい竹下江里子さんから電話があった。
「おみず、赤坂見附駅でNOLTYのおみずのでっかい顔見たわよ。」
数時間前のメールを納得。
赤坂見附の看板を僕はまだ見ていない。
ギャラも貰っていない。
能率手帳のホームページの広告ギャラリーに出ています。