遅い時間(突然だが深い時間という人がいる。あり?)0時過ぎに松井君(仮名)が来た。
彼は滅多に顔を出さないが30年近く通ってくれている。
他人との会話が苦手で主に僕とのおしゃべりに来る。最近は特に愛犬の話だ。
二匹の生まれて間もないパグを飼っていたが、一匹を数年前に亡くし今は80歳近くになるという
老犬と一緒だ。最近は会っていないが、僕はこの二匹を子供の頃から知っていたので一匹が亡くなった時には
心を痛めた。特に彼の憔悴に心を痛めた。
幸い(?)な事に店は暇で松井君とマンツーマン とりとめもない会話を楽しんでいた。

程なく伊賀ちゃん(仮名)が来た。彼も通って30年になる。最近来店する時間はいつも夜中だ。
彼は90歳近い母親の介護をしていて、一か月に一回程母親を寝かしつけてからタクシーで来て
二三杯引っ掛けて急いでタクシーで帰る。もう数年続けている。
彼との会話は決まって母親の介護だ。僕も四年前に父親の介護を三年ほどしたので親身になる。

そんな二人だが今日が初対面だ。
僕は伊賀ちゃんに焼酎の水割りを作り「おふくろさん、どう?」「うん、変わらずだね」と彼。
彼は他人の前でおふくろさんの事は言わない。
松井君50代 伊賀ちゃん60代さすが大人、三人で話はぼそぼそと続いた。
僕も加わったぼそぼその間に僕は二人の共通点を考えていた。
母親の介護と愛犬の介護、独身、プロ並みに歌が上手い(伊賀ちゃんはハスキーで高い声、松井君は
澄んだ高い声)僕は二人の歌を聴くのが好きだ。
二人共正義感が強くその分短気。初対面の人とは打ち解けないが人当たりはいい。
そんなに共通点のある二人だが相手のことは全く知らない。
そんなぼそぼその間に小さな事件が起きた。
僕が「でもさぁ、人間って大切に思える人がいるっていい事だよね。今いる?」とぼそっと言った。
伊賀ちゃんが「喧嘩ばっかりだけど、やっぱりおふくろかな」
松井君が「やっぱりうちの子かな」
伊賀ちゃん「うちの子って、犬のこと?」「そうですけど!」「畜生と人間って一緒かよ!」「畜生って言わないで下さい!」
「畜生は畜生だろ!」
僕が割って入る間もなく松井君が「おあいそ!」と出ていった。
伊賀ちゃんは「俺、嫌なんだよね。人間と犬猫一緒にする奴! おふくろと犬猫一緒かよ!」
僕が「そういう意味じゃ…。」「わかってるけど。ごめんね。帰る。」

僕は元の静寂に戻った店で洗い物もせず、カウンターの外に出て煙草を取った。
盆栽命の客もいる。プラモデル命の客もいる。地震があっても火事が起きても人形だけはと言う客もいる。
何故!何故! 他人が大切と思う、人でも、犬猫でも、物でも、「その人」が大切に思うものを理解しようと
しないのか? 僕は腹が立った後に寂しくなった。
20代の頃から知っている二人。泣き笑い、歌い悩み、瞬時瞬時だが共にしてきた。
そんな二人が今たった一人で、母親の介護と愛犬の介護をしている。
僕の脳裏に二人の若かりし頃の屈託のない笑顔と大きな笑い声が聞こえてくる。
歌の文句じゃないけれど、たばこの煙が目にしみて、月がかすんで見える…。

さあ、洗い物でもするか。