本来このピースボートはスエズ運河とパナマ運河を通るが売りの1つだったが政情の関係かスエズ運河は中止となったのは前述した通りだ。
それでもパナマ運河だけでも僕は楽しみだった。
少し調べた。スエズ運河を造った人がパナマ運河にも着手したが資金繰りやマラリヤで中断したが、アメリカが関わり10年かけて1914年に開通した。
僕は運河を通るのはただだと思っていたが、莫大な通行料がかかることを今回初めて知った。大きさにもよるが何千万円単位らしい。
徴収料はアメリカが長いこと管理していたが1999年12月31日をもってパナマに返還されたという。
ここは国際運河として船籍、軍民は問わないという。
パナマに運河を通すことが出来た最大の理由はその水量の多さにあると言う。
川の水を堰き止め人口湖を造る事が出来たからだ。
しかし近年の気候変動による水不足で一日45隻前後の往来が2024年の今年は24隻程だと言う。

それにしてもかつては南米大陸の南端アルゼンチンやチリのマゼラン海峡まで行かなければ大西洋から太平洋に出られなかったのが、この運河によって何と便利になったことか地図を見ても明らかだ。特にアメリカは東海岸と西海岸の航路の近道を確保することが出来た。

いよいよパナマ運河通航日だ。
待ち時間を入れると約24時間だという。待ち時間は港でとり出航は午前10時。
船は今までにない程ゆっくりと進み最初の閘門(こうもん・水位を利用して船を進める)に来た。
この大型船がやっと入る位のところにきて、今までテラスからの景色はいつも平行だったのに初めて上下に動く感じがした。
岸壁で操作をしている人が身近に見える。それがだんだんといつもの景色、12階から見下ろす景色に変わった。
なるほど船内放送でテラスの方は岸壁には触れないで下さいと言っていた。
僕の部屋は12階だったので丁度水位の低い箱の中に船が浮かんで徐々に水位が上がりいつもの12階の景色になったようだ。
この運河は往復線で向かいから大型船が来たが船底を見せたかと思ったらいつの間に甲板が見えた。今だにこのメカニズムが理解できないでいる。
最初の閘門を抜けると両サイドに大小の島々が見える。ジャングルだ。靄がかかって僕の好きな景色だった。
後で知ったがこれが人口湖のガツン湖だった。島々は沈んだ山々の頂きだと知った。
しばらくするとまた2つの閘門がありやはり同じように進んだ。
最初の閘門と同じように運河を挟んで大きな橋がかかっていた。
この運河の造りと言い巨大な長い橋といい、人間のすることってすごいなと改めて強く思った。
3つの閘門を通ってやっと太平洋に出た。
6時間はかかったか。

またいつものように360度海また海の生活に戻った。
映像でしか見ていなかったパナマ運河が僕に教えたのは、人間の頭ってどうなってるの?
ここにいる僕って何?

パナマ運河に入る

パナマ運河に入る

パナマ運河を通る

パナマ運河を通る

反対方向からの大型船

反対方向からの大型船

いつの間に大型船の甲板が

いつの間に大型船の甲板が見えた

人口湖のガツン湖

人口湖のガツン湖・湖に沈んだ山の頂き

パナマ運河にかかる巨大橋

パナマ運河にかかる巨大橋