今日は風も無く波もなくそう暑くもない。ただただ穏やかな日だった。
午後は初心者が自由に踊っていい社交ダンスに一人で参加して 曲に合わせて踊り軽い汗をかいた。
部屋でブログを書いたり本を読んだり弘嗣とベッドに寝そべりながらおしゃべりをした。
「一昨日の香港 僕は好きじゃなかったな」「へえ そうですか?」以外というような弘嗣の返事だった。それから雑談は続いたが僕は自分の言った 香港好きじゃなかった。という言葉に引っかかっていた。正確には香港のツアーで行った場所がもしくは街並みがあるいはごった返したランチが。
旅後、誰かに香港どうだった?と聞かれたら僕はたぶん好きじゃなかったと答えるだろう。
半日しか香港にいなかったのに。
僕は店でよく「嫌いな人はいない」というと一様に噓だあと言われる。本当だ。
僕を嫌いな人は店に来ないだろうし 4階まで上がって来てくれる客が嫌いなわけがない。
芝居でたまに嫌な奴と思うのがいるが 本番終わって打ち上げが済めば会うことがない。
要するに嫌いな奴と会うチャンスがない。
しかしサラリーマンが大嫌いな上司又は部下と毎日顔を合わせなければならない苦痛は理解する。
以前常連客のOLが「あの上司早く左遷になれ!どっか行け!」と僕に訴えたことがある。
僕はその上司を知らないが 一緒に5寸釘を打とうかと言ったことがある。
スタッフの江上君に聞いたことがある。「江上 嫌いな客っている?」「嫌いなのはいませんが面倒くさい客はいっぱいいます。」江上らしい辛辣なしかし的を得た答えだ。
確かに面倒くさい客は多い。そういう客は他の客にも面倒くさがれる。厄介だ。
しかし面倒くさい客に限って何かわからないイライラと淋しさが僕には見えてしまう。
僕は寄り添ってあげたくなる。淋しいのは僕も同じだよと言ってみたくなる。
顔のいい女といい男は得だ。それだけで素敵と思われどうかすると好きになられる。
46年で僕にはそれが全くなくなった。
顔のいい女といい男の区別はつくがそれが素敵と好きとはまったくかけ離れている。
いい女といい男の根性悪さと ブスとブ男の美しさをたくさん見てきたおかげかな。
川端康成の伊豆の踊子で踊り子が母親に学生さんのことを「いい人、いい人っていいね!」というセリフがある。僕はこのセリフが好きだ。
明後日はシンガポールだ。午後3時グーグルマップだとベトナムの真ん中辺りか。
波の穏やかな日はカモメが一羽も飛んでいない。不思議だ。