香港は今回で三度目のはずだが二度目は全く覚えていない。
だが一度目はたわいもないことを鮮明に覚えている。
僕が店をやる前だからたぶん20代半ば(50年前!)頃だろう。僕の親父(ドナルド・リチー)が香港映画祭の審査員になり僕を同伴してくれた。海外旅行は初めてではないがまだ数回目だ。
最初に驚いたのは飛行場からリムジンの出迎え。「ヒエー!」リムジンの中は応接間。「ヒエ!」
グラスごとキラキラ光る(そう見えた)シャンパン「ヒエ!」
ペニンシュラホテルに着いたら広い部屋が二つ 当然バスルームも(二人だけなのに)テーブルには金持ちが病人の見舞いに持っていくようなリボンと持ち手の付いた大きなフルーツ籠。山のようにあるので中のフルーツは見えない。ウエルカムと親父と僕の名前がある。
するとボーイがいやアメリカ映画に出てくるような執事が銀のお盆にチーズを5個持ってきた。
親父はいくつか匂いを嗅いで一つを選んだ。そのころ僕は声も出なくなっていたし チーズも苦手だった。やっと「そんな大きなチーズ一人で食べられるの?」「いえ 食べませんよ。石鹼ですから」
シャネルかニナリッチの石鹼だったらしい。
何日いたか忘れたが親父の審査員の仕事は昼過ぎまでだったので 午前中は一人で歩き回った。
香港人の顔は日本人と同じだし不安とも怖いとも思わなかった。無知の強みなのか若さなのか外国での一人歩きは楽しいだけだった。今では考えられない。
親父とダウンタウンの細い坂道を歩いた。両側は食堂だったり雑貨屋だったり。右側に蛇屋を見つけた。入ってみると木箱に何十匹ものヘビが幾重にも入っていて蠢いている。
その左側はヘビ食堂だ。親父と顔を見合わせる。僕も好奇心旺盛だが親父も負けてない。
小さめのどんぶりにスープ 中には硬い骨付きの魚の鱈のような 旨いも不味いも覚えていないのはほとんど食えなかったのではと思う。
リムジンを知ったのもペニンシュラホテルが超有名と聞いたのもシャネルやニナリッチを知ったのもずっと後だ。
香港と聞くと親父と以上のたわいもない事を思い出す。
そんな親父も11年前に死んだ。僕に世界中での沢山の思い出を残して。
喪主を勤めて見送った。