毎年の事だが周年パーティーの一週間前後は嵐の前の静けさと台風一過のような静けさが
普段も落ち着いた店がなお閑散とする。
そんな中パーティー前夜 パーティー中二回 パーティー後すぐに来店してくれたのが寺澤さんだ。
彼はこの二年間の常連客の一人だが店にしては新参者だ（失礼）
10年20年30年と通ってくれている客の中、新参者の言い方は 寺澤さんごめんね(笑)
因みにオープン当初からの常連客が５人程いる。
その人達の事もいつかここに書いてみたい。
新客（飛び込み客？）が年に一組か二組しか来ない店に二年前顔を出したのが寺澤さんだ。
当然の会話から「初めてですか？」「はい」
「どなたからかの紹介ですか？」「…いいえ」
年は50代半ばだろうか。エリートサラリーマンを絵に描いたようなネクタイとスーツ姿、銀縁の眼鏡で髪は短い。
カウンターに肘を掛けることもなく姿勢も正しい。印象はダンディ。
何か聞いても「はい」「いいえ」「まあ、そんなとこです」
たいした会話もなく二、三杯で帰る。
気の利いたママも可愛い娘もいない。カラオケもない。
年配のぼんやりしたマスターが相手じゃ退屈だろう。もう来ないなと思う僕。
ところが又来た。
僕の火曜日定休の江上君担当の日だ。後日業務連絡で江上君に聞かれる。
「寺澤さんってどんな人ですか？」「飛び込みで口数も少ないので判らない」と僕。
そして又来た。
その日は僕が芝居の稽古で遅くなるので常連客の男のよし子ちゃんに任せていた。
客には女のよし子ちゃんもいるので使い分けている。男のよし子ちゃんはゲイだ。
後日業務連絡でよし子ちゃんに聞かれる。
「寺澤さんって何者？」「飛び込みで口数も少ないので判らない」と僕。
「あのおしゃれないでたちはお仲間よ」よし子ちゃんの言うお仲間とはゲイの事だ。
「でも結婚してるって」「関係ないわよ、そんなの」と笑うよし子ちゃん。
ゲイの人は一目でノンケかお仲間かを見極める能力があるらしい。
でも外れた時のサラッと流す能力も備わっている。
「紛らわしのよね！あの筋肉、あの髭、あの目、あのしぐさ、あの言葉遣い！」
全て「紛らわしいのよね」でかたずけてしまう。どこに根拠があるのかいまだにわからない。
寺澤さんは本人の知らないところでゲイ疑惑をもたれたまま数回来店。初来店と態度は変わらず。
ところがある夜、寺澤さんに続いて文学座の後輩で女優の渋谷はるかさんが来た。
僕は当然「こちらにどうぞ」と離れた席を勧める。
寺澤さんは今まで見たこともない笑顔で、はるかはいたずらっぽい笑顔で並んで座った。
二人に接点はないはずなのに。
寺澤さんが勝ち誇った笑顔で言う。「わかりました？ バレました？」
二人の話によると観劇好きの寺澤さんが若い女優さん達との交流の中で渋谷はるかと知り合い、はるかに
雑魚寝のことを聞き、二人で一緒に行くまで素性を明かさない、マスターを驚かすため。
その上寺澤さんは店で芝居の話題になった時もバレないようにジッと我慢していたと。
それであんなにも無口だったのか。
勿論僕はうんと驚いて 見せた！ 「わあ！ゲエィ！信じらんねえ！二人が知り合いだったとは！」
それから僕は寺澤さんが好きになった。
なぜってこれまで自然体で飲んでいれば驚いたのに、あまりに口数が少なく思いつめたような姿勢と
不自然さはゲイ疑惑以外にも、僕に何かあるなと思わせるのに十分だったから。
だからはるかと一緒に来た時にこれかとすぐに！
でも僕はうんと驚いて 見せた！ 寺澤さんって可愛らしいと思いません？
そんな寺澤さんが周年パーティー後にも来てくれて、継続うんぬんの話をした。
その時彼が言った言葉が「でもマスター３９年って、大卒のサラリーマン新入社員が定年退職までですよ」
僕は一瞬言葉が出なかった。意味を理解するのに数秒かかった。
僕は高校卒業後すぐに国家公務員として郵政省で三年間働いた。
経済の余裕ができてから夜間の大学に通った。その後郵政省も辞め大学も中退して役者の道に入った。
僕の人生におけるサラリーマン時代はたったの三年間だ。
僕はサラリーマンを尊敬している。
その僕がサラリーマンと同じように新入社員から定年退職の年までこの雑魚寝で働いたのか！
思いがけない寺澤さんの例えの言葉に僕は泣きそうになった。
貯えも無い退職金も無い年金も無い表彰状も無い でも僕は定年退職まで働いた。
「継続は力なり」か！ 満足です。これまでの僕の人生満足です。
さあ、今日のお通しは何にしようかな。
水島
